伊那佐山山頂に鎮座。
山麓に実りをもたらす水の神様。古事記「神武東征」の伝承地。
麓の登山口から登ること、およそ30分。
参道には麓の人々が奉納した丁石や道標、中腹の鳥居など、先人の築いてくれたものが、登拝する人の心を励ましてくれます。
そして、その頂で太古の昔から現在に至るまで、麓の村々に住む人々の暮らしを御守りになってきた神様に出会うことができます。
どうぞ、ごゆっくり。
自分のペースでお参りください。
当地について
伊那佐山
標高637メートル。単立で三角錐が美しい山は麓の村々に潤いをもたらす山、水の神様として親しまれてきました。
御祭神
高龗(タカオカミ)神
頬那芸(ツラナギ)神
どちらも水に関係する神様です。
旧伊那佐村
伊那佐山麓にある山路、栗谷、石田、大貝、澤、三宮寺、母里、比布、福西、池上、高塚からなる集落です。
伝説その1
古事記・日本書紀の「神武東征」において、神武天皇が和歌を詠まれたという記述が残されています。
伝説その2
山頂から南へ少し下ったところに天狗岩という巨石があります。古代の祭祀跡である磐座か?という説があります。
伝説その3
御祭神が水に関係する神様なので、干ばつの時には麓の村から松明をもって登拝し、祈雨の行事を行ったのだとか。
御由緒
『都賀那岐神社由緒史』より
(昭和初期発行と推察)※原文は文語体
そもそも都賀那岐神社は延喜式内社であって、伊那佐山鎮座に関わる創立および由緒は、詳細にして広く世上の高評を得ているものである。
しかしながら、先ず国史について詳細に述べてみたい(国史は巨細枚になるので概略を述べるに留める)。『古事記』によると、皇祖神武天皇が葦原の中津国(日本国)を統治するにあたり、日向国(今の宮崎県)から皇軍を率いて進撃(臨幸)すると、逆賊(エシキとオトシキ)が立ち塞がった。この逆賊を討伐しようとすると、皇軍にも連戦の疲れが目立ちはじめた。
ここにおいて伊那佐山に陣を構えて(伊那佐山に登臨せられ)、後軍の防御を固めようとした。ここで御歌(久米歌)が詠まれた。
楯並(たたな)めて 伊那佐の山の 木の間ゆも い行き目守(まも)らひ戦へば
我(われ)はや飢(え)ぬ 島(しま)つ鳥 鵜飼(うかい)が伴(とも) 今助けに来(こ)ね
[口訳]
(楯並めて)伊那佐の山の樹々の間を、あちこちと行きつつ、敵を見張りながら戦っていると、私はすっかり飢え疲れた。
(島つ鳥)鵜飼部の人たちよ。食糧をもって、至急助けに来てくれよ。
逆賊どもを討ち果たしてから後、みやこ(京)の予定地の畝火(畝傍)まで凱旋が行われるとき、この伊那佐山にて久米舞が謡われ舞われた。
続日本紀によると、天平勝宝元年(750)12月東大寺大仏開眼式の時、聖武天皇が行幸(参列)されて、ここで久米舞が執り行われた。
また、貞観元年(860)11月16日から19日にかけて、大嘗会(だいじょうえ)が執り行われた(大嘗会=天皇即位後に行う初めての新嘗祭。五穀を天照大神に献じる。)悠紀(ゆき)幕と主基(すき)幕を懸けて、豊楽殿では百官(多くの役人)がそろって田舞、佐伯氏が久米舞を行った。
伊那佐山で祝舞(久米舞)として謡われたことにより、この伊那佐の地にも伝えてこれを舞う例(俗に太閤踊りと言われている)がある。
大和誌によると、伊那佐山は山路山とも称され、山路村の上方にある。伊那佐山は山路村の東方に聳えて、屹立すること十八町もあって、最も高峻な地形である。一つの要路を防いでしまうと、恐らくは、いくら人足を出しても(他に山道を開削することは)不可能な地形である。
頂上に達すると、四方の眺めは素晴らしく、連山みな眼下にあり、あたかも帆柱に登り、海原を眺めるがごときの様である。
頂上より東方に下りて一町たらずの所に、平坦なる土地がある。ここに厨屋(今の厨房)が設けられた。この地形は巨石でもって石垣となし、古代の遺風そのものである。近世の人力の及ばざる構造物である。このような美風な構造物とともに、駒石(一間四方にて駒の足形)もあって、すこぶる古跡(遺跡)が備わって(残されて)いる。
このころ、明治21年(1888)4月25日市制・町村制度が公布された(地方制度も確立され、選挙権と被選挙権もできた)。この好機を僥倖(ぎょうこう・思いがけない幸い)として、伊那佐山の名称を広く世に知らしめるため、近郷の大宇を合併して「伊那佐村」と名付けた。
いにしえのことで社殿の築造は不詳であるが、中古(中世=平安時代)の天禄3年(973)3月15日に社殿は改造されている。以降も改造・修繕が行なわれたと思われるが、詳細は不明である。元禄16年(1703)の検地では、都賀那岐神社の社地として四反四畝歩が除地(年貢諸役を免除された土地)となり、それ以来、連綿と(除地が)続き、現在は、官有地第一種に編入されている。
例祭は4月15日で近郷近村より数千人の参拝者がある。
現代語訳 山田隆敏
訳語検証 柳澤一宏
資料提供 八咫烏神社
↓下記写真は伊那佐山からの眺望↓
行事紹介
春季例祭
毎年4月中旬に伊那佐山に登って、山頂の本殿前でお祭りが行われています。
山路集落の老若男女のほか伊那佐山麓の人々もお参りになり、お祭り後に行われる直会では神様と共に和気あいあいの宴となります。
秋季例祭
毎年10月中旬に行われています。秋季例祭では登拝は行われず、麓の遥拝所でお祭りします。
祭りは午前中に行われ、午後から場所を変えて行われる「千本搗き行事」に備えます。
秋季例祭
千本搗き行事
長い杵を持った村の衆が、この村に伝わる謡曲を歌いながら同時にモチ米を搗きます。特徴は歌の終わりを合図に杵で数回、荒々しく臼を叩くこと。優雅と勇壮が共存した不思議な行事です。
鎮座地:〒633-0224 奈良県宇陀市榛原山路335(伊那佐山 山頂)
メールアドレス:info☆yatagarasujinja.net ※☆を@に変えてメールください。
八咫烏神社の神職が兼務しています。
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